難病なう〜不治の病と共に生きる

【リハビリの何たるかを】

伝え忘れていたこと

昨日はサンダルを買ったことを書きました。そこでは,足指に力を入れる=意識的に頑張る…ということを行ったという意味合いで書いたのですが,これがとても重要なので,今日はもう少し詳しくお伝えしようと思います。

うたごえ喫茶にて

先日,熊本県でうたごえ喫茶がありました。若かりし日,私はうたごえサークルに所属し,フォークギターを弾きながら徹夜で歌い続けるような人間だったので,熊本での半日を堪能したわけですが,実はそれ自体もリハビリだったのです。
歌を歌うためには,腹筋も背筋も必要なのです。しかも,肺をしっかり働かせ,自律神経で音程をもコントロールしなければなりません。ほら,ね,立派なリハビリだとは思いませんか?

それまでもその団体のうたごえ喫茶には数度参加していました。その度に痛感していたこと,それは,
〈歌が下手になっている〉ということと,
〈一曲最後まで歌い通す体力がない〉ということでした。
特に辛かったのは,歌の途中で声がかすれたり,むせ込んだり咳き込んだりしてしまうことでした。ああ,まだ体力が戻っていないんだな,と,私は思っていたのですが……

先日はそれが誤りだったことが判明しました。経緯は除いて結論を申し上げますと,頑張りが足りなかったのです。
歌っている途中で音程が取れなくなり,咳き込んでしまった時に,今回私は頑張って歌ってみたのです。するとどうでしょう,次第に咳き込むことがなくなり,声に張りというか,艶というか,つまりは説得力が増していったのです。

そこで私は思い出しました。昔,同じようなことがあったと。
合唱団で練習をしている時,一時的に声がかすれたり音程が取れなくなったりした時に,それに構わず大声で歌い続けていると,喉に入っていた余計な力=りきみが取れていき,それまでよりも良い声が出るようになったことを思い出したのです。

これはもう,30年ほども前の記憶です。古い記憶が呼び戻された瞬間,私は自身が考えていた〈リハビリの強度〉が弱過ぎたのだということを理解したのです。

リハビリの強度

これは,リハビリのなんたるかを考えるうえで,根本的な課題だと思います。強度が強過ぎると継続がかなわなくなり,リハビリを諦めてしまうでしょう。また逆に強度が弱過ぎるとできることがいつまでも増えず,やる気を無くしてしまうのでリハビリを諦めてしまうでしょう。
やはり何事も中庸というものが大事なのですね。

で,歌については解決の方向が見えてきました。サンダルについても同じように考え,リハビリの強度を上げるべく,新たに設定した課題だったのです。

今日はサンダル履きでは危険が伴うところに出かけたので,革靴で通しました。また明日以降,サンダルにも活躍してもらうつもりです。


〔今日良かったこと〕
・蛍の飛行を楽しむことができた
・インド由来のヒーリングを学び楽しむことができた
・インドのカレーを知り楽しむことができた
・交通マナーの悪い乗用車に対して怒りをコントロールすることができた

明日もいいことありますように!