難病なう〜不治の病と共に生きる

【有意義だった大阪旅行】

〔新たなミッションが生まれた〕

先日,遂に念願の大阪講演を行いました。しかし大阪行はただ単に約束を果たす旅だけでは終わりませんでした。
その価値は,偶然により高められたのです。

2つのミッション

そもそも今回の旅行には,2つの大きな目的(ミッション)がありました。すなわち,

  1. 親や親戚に会い,私の現況(特に健康状態)を伝える事
  2. 講演会の契機となった場所に戻り,そこでけじめの講演会を行う事

でした。

第1ミッション

今回私は,父に会う事を大きな目的にしていました。遠く北海道と大阪に生活の場所が離れていたため,父とはなかなか会う事ができませんでした。直近で父と会い話をしたのは,妹が亡くなった5年前という事になります。
昨年の4月には私が大阪に立ち寄り,父と会う約束をしていたのですが,急に大切な用事ができたとの話で会う事は叶わなかったのです。
ですから今回は万難を排して会うつもりでいました。何せ,私の手術(生体肝移植術)の成功すら報告していないのですから。

そして,京都にいる伯母と叔父に会う事も大きな目的の一つでした。私が子どもの頃から良くしてくれた伯母と叔父には昨年会っていましたが,家族揃ってご挨拶したかったのです。

まずは京都に伺い,懐かしい話もたくさんして楽しい数時間を送る事ができました。伯母も叔父も,予想を上回る私の回復に喜んでくれました。

そして次は父のところです。父は私の手を握りしめ,ずっと離しませんでした。目には光るものがあり,私の心も波立ちました。来年には出版が決まっているので,それまでは元気でいる事をお互いに約束してさようならをしました。
父は私が回復しているという事を信じられなかったのですが,自分の目で実際に見て,ようやく納得してくれたようでした。

こうして,第1ミッションを無事に終える事ができました。

第2ミッション

第2の目的は,講演会を開催する事でした。私が全国を講演して回る事を決意したのは,昨年4月,大阪にあるイタリアンレストランで,友人に私の体験を話した日の事でした。

カリフラワーとマッシュルームのポタージュ

その日私は,友人の経営するイタリアンレストランで夕食を頂く事にしていました。それは友人と
「病気を克服したら,必ずお店に行き食事をするから」
と約束していたからでした。
約束は果たされました。夕食を頂いたあとで私が闘病生活で得た気づきや子どもたちとの関わりを友人に話すと,友人はたいそう感心し,
「その話,できるだけたくさんの人に話してほしい」
と言ってくれたのです。そしてまた,
「大阪で講演を。この場所で!」
と励ましてくれたのです。

魚介のマリネサラダ

今回はようやく,その約束を果たす事ができました。お店を会場にして,まずは美味しいランチを一緒に頂き,少しの休憩を経て講演会へ。
今までは共通語で講演をしてきましたが,やはり生まれ故郷で行う時には,懐かしい言葉が出てきます。大阪弁で話していると,いつにも増して心の動きをダイレクトに表現する事ができて,よりアツい講演会になったようでした。

9種のキノコのクリームソースパスタ

そして新たなミッション

講演会の席に,初めてお会いするご夫婦が参加してくださいました。先日の記事【講師登録をしました】でふれた会社の社長さんご夫妻が,わざわざ足を運んでくださったのです。

講演会終了後,私は社長さんとお話をする機会を得る事ができました。翌日に私が大阪本社を訪れる事は決まっていたのですが,実際に私の話を聴いてみてアドヴァイスをくださるということで,とても貴重な時間をいただくことになったのです。

その場の話と翌日の会社訪問は,私の今後の活動に大きな影響を与えてくれる事になったようです。ここで第3のミッションが私に与えられたのです。


これから私は第3のミッション=できるだけ多くの人に自分の思いを伝える を達成できるように様々な努力を積み重ねていくつもりです。皆さま,これまで同様のご支援をよろしくお願いいたします。