〔私に歌う力が残された理由〕
Instagram上での会話
数日前のことでした。Instagram上でライブ配信が始まったと通知が届きました。
「誰かな?」
と思い見てみると,教え子の一人が始めたライブでした。
開始当初はなんでもない時間が過ぎていきましたが,そのうちライブに参加している数人の会話の中に私が出てきました。
「えっ,先生が来てくれてる!」
「会いたいなあ」
という会話から,“あの日の授業”についての回想に。
「あの〈糸〉,泣くわ」
「あの歌聴いて泣かない人いないよね」
あの〈糸〉その後
あの〈糸〉というのは,のちに〈生命の授業〉と呼ばれた授業の冒頭に流した動画のことです。
私は生体肝移植術を受け,約一週間後にようやく声が出るようになりました。私はその時,まず感謝を伝えたいと思ったのです。私に大事な大事な肝臓をくれた最愛の妻に対する感謝です。
私はカラオケアプリを使い,中島みゆきさんの作品『糸』を歌ったのです。手術後ようやく声が出た私が,全身を使い心を込めて歌ったその動画は,歌の出来はともかく,聴いた子どもたちの心に届いたようです。その後この動画は私の講演会の度ごとに登場することになりました。どこで開催しても,講演の中で最も良かったものはというアンケートに対する答は,いつも決まってこの歌でした。
歌が心に届いている
私は教え子たちの言葉に感動しました。あの時の思い,まだ彼らの中に生き続けているんだ!
私は恥ずかしさをこらえて動画を撮影しました。もちろん『糸』を歌う動画です。動画はInstagramライブという形で配信され,教え子たちも観てくれたようです。
思いは届く,歌が心に届いているんだ!
私の感動は深く長く続きました。
だからまだ歌えるんだ!
そして私は思い至ったのです。なぜ私に歌が残されているのかに。
私は人生に無駄なものは一つもないと考えています。だから私は難病に罹ったことにも意味があると想い,講演活動と出版が私に与えられた仕事だと思うようになりました。
だとすれば,私にまだ残されている力にも意味があるはずです。口の中が渇き味覚が奪われ,流す涙の水分もなくした私に,なぜ歌う力が残されたのか。
それはこれからも歌い続けることが,人々を励ますからということに他なりません。私の歌には人を励ます力があるんだ,だからベートーベンの『第九』にも愛唱歌『アメージンググレイス』にも取り組んだんだ,学芸会で長らくミュージカルに挑戦したのにはそういう意味があったのか,……そう思い至った時,それは私の中でまた一つ,“つながった”瞬間でした。
これからも歌い続けよう
だとしたら,これからも歌い続けなければならない,たとえ喉が渇いて痛くとも,むせ続けて苦しい目に遭っても。
症状の苦しさに手放したギターですが,これからまた伴奏楽器を探しましょう。
そして40年前のように,一晩中歌っても平気だった時代のように,歌を愛し続けていきたいと思います。