難病なう〜不治の病と共に生きる

【指の痛さも生きている証】

痛みが過ぎ去るまで我慢するしかない

〔突然襲う痛みにも可能性を見る〕

先月(2020年1月期)には,東京で講演会を行うことができました。当日は得難い感動の連続でしたので,改めて投稿したいと思います。もうしばらくお待ちください。

左右どちらの手にも訪れる痛み

さて今回は指先に走る痛みについて。私はアミロイドーシスのもたらす様々な症状に苦しめられています。意外に厄介なのは,突然手指に走る痛みです。

これは指先に力を入れる作業をしていると起こりやすい症状です。突然指が攣り,反り返って自由に動かすことができなくなります。そして激烈な痛みを伴うのです。
この症状,一度起こるとあまりの痛みになにもできなくなります。意識しないと呼吸することも忘れてしまうほどに。
反り返った指を反対側の掌(右手が攣った場合は左手を,その逆も同じように)で優しく包み込み,力を入れて指を収めるとなんとか痛みが和らぎます。が,包んでいた掌を離すと,間髪を入れずにまた手指が反り返り,同じような痛みが襲ってくるのです。

突然痛み始めた人さし指

痛みが過ぎるのを待ち続ける

こうなるともう,痛みが過ぎ去って指の反り返りが取れるまでじっと待つしかありません。その間私は苦痛に顔をゆがめ口からはうめき声を発してしまいます。

主治医には相談していて,漢方の頓服を処方してもらっています。これを服用すると,なぜか短時間で痛みが収まるのです。
「あ,また痛みが来そうだな」
と私が感じてから実際に痛み始めるまでに数分の“猶予”があるので,その間に薬を用意するのです。

この痛み,なぜかは分かりませんが,左右の手同時に現れたことがありません。もし両手が同時に痛むと,もう本当にどうして良いか分からないと思うのですが,幸いなことにそういう事態には陥っていません。

思い出す幼少期の挫折

この痛みに耐えている間に,私に小学生時代の記憶が蘇ってきました。それは,クラリネットの演奏に夢中になっていた頃のこと。
私は練習するごとに上達していくクラリネット演奏に夢中でした。一日に3〜4時間は演奏していたと思います。しかし基本練習は誰も教えてくれなかったので,演奏曲集を楽器屋さんで買ってきては,演奏に取り組んでいたのです。

基本的に演奏は楽しいのですが,クラリネットに向かって1時間ほど経つと,必ず手指が攣ってしまうのです。左右の人さし指と中指が決まって攣り始め,指先が鉤型に固まってしまいます。そうなるともう演奏はできません。すぐにストップして,固まった指の緊張をほどき,数分間の休憩をはさんでまた演奏を続けたのです。

2019年6月14日,ゆめタウン久留米でCozy-Ashさんのクラリネットを楽しみました。

私はこの時期,クラリネットの演奏家になりたかったのです。でもこの手指に攣りがある以上,演奏家になることはできないと本能的に感じていました。私はその夢を誰に語ることもなく,ひっそりと願いを心の奥に押しとどめたのです。

手指の攣りに苦しんでいるある瞬間,私の脳裏には小学生時代の思い出が蘇りました。当時は指への痛みは感じなかったものの,基本的な症状は今と同じ。
ということは,私は小学校高学年時代からアミロイドーシスに苦しめられていたのかもしれません。となるとこの病,当初思っていた以上に厄介な代物なのですね。

同時に光明も見出す

しかし痛みは同時に,光明も見出させてくれました。それは,
「耐えられない痛みは与えられない」
という,なんだか宗教的とも思える気づきです。

左右同時にこの痛みが襲ってきたら,私は何もできません。あまりの痛みに気を失うかもしれません。前後不覚に陥り,その間に事故に巻き込まれたり,各種トラブルを引き起こしたりするかもしれません。
また,痛みの前兆を感じることができなければ,対処することもできません。

やはりこれは,
「神様は乗り越えられない試練は与えない」
という,クリスチャンがよく表現する内容と同一の境地なのではないかと思えるのです。

振り返ってみるといつもそうだった

良く考えてみると,生体肝移植術を受けた直後からの痛みもそうでした。実は私はこんな体験をしていたのです。

手術前,私はアミロイドーシスが与えた症状に苦しめられていました。それは

  1. 起立性低血圧
  2. 突然襲う強烈な下痢
  3. 喉の奥が乾燥に因り痛む
  4. 末梢(手指・足指)の感覚異常

などでした。でもそれが手術を受けた直後から,全て消えてしまったのです。

これは喜ばしいことだけではなく,替わりに私を襲ったのは24時間続く強烈な嘔吐感と体中の皮膚が乾燥して粉を吹いてしまうという新たな症状でした。
この症状が消えた頃,例のアミロイドーシスの症状は復活してきました。この時に私が実感したのが,
「痛みの総量は決まっているのかもしれない」
というものでした。

また私が小学校の現場に復職した日々のことも蘇ります。
当時私は平気に歩行し,時には小走りになり,ジャンプまでできていたのです。毎時間,職員室のある1階から授業を行う3階まで階段で昇降していましたし,給食も短時間で食べることができていました。

でも当時は,休みの日になれば朝から夜まで全く何もできずに布団に横たわる日々が続いたのです。授業をはじめとした仕事はできても,身の回りのことは何もできないという“二重生活”を当時は送っていましたが,これもまた,乗り越えられる苦難の総量は決まっているといえるような体験だったのだと思います。

思い返せば,いつも繰り返してきたのですね。

指は反り返って激痛が走る

痛みも辛さも人生の一部

私はこうして気づきました。この痛みさえも,生きている喜びそのものなのだと。生きていなければ,この苦痛も感じることはできないのです。
いつ果てるともなく続いた闘病生活の中で何度も自ら命を絶とうとしながら私がなんとか踏みとどまったのも,痛みが与える生の喜びを無自覚にでも捉えていたからなのかもしれません。もちろん,教え子たちの応援が最も大きな力を発揮したことは紛れもない事実なのですが。

こういう境地に至ると,もう何が来ても平気です。どうせ私に乗り越えられない試練や苦痛は与えられることはないのだから,与えられた感覚をしっかりと掴み,それが何を意味しているのかをしっかり考えることが必要だと思えるようになったのです。
この気づき,次回以降の講演会でも伝えなきゃと感じています。もちろん,本の中にも書き表したいと考えています。