薬の改革が、どんどん進んでいる。私の場合は、タファミジス(ビンダケル)→パチシラン(オンパットロ)→ブトリシラン(アムヴトラ)と進んできて、病状の進行がほぼなくなった感がある。
※( )内は、薬の製品名
それはもちろん、素晴らしい。何せ、命を奪われることがなくなったのだから。しかし、個々の症状の出方を見てみると、同じではない。例えば、私の歩行能力は、1年前と比べて明らかに退化している。例えば、私の手指の感覚は、以前と比べて明らかに麻痺が進んでいる。例えば、私の消化能力は、内臓の働きと相まって、衰えてきているように感じられる。
しかし、それらの衰えは、そんなに大きなものではない。なぜなら、衰えてきたように見えても、もっと長いスパンで考えた場合、今後は回復できるかもしれないからだ。だから日々の暮らしが鬱陶しいものになりつつある昨今も取るに足らない悩みのように感じている。
私にとってとにかく大きいのは、目の衰えだ。私の肝臓から産出されたアミロイドは、現在の治療法によりほぼ止まっている。けれども、角膜から生み出される(と言う表現が正しいとは限らないが)アミロイドは、今でも日々蓄積を続けている。このアミロイドが悪さをして、私の視界を徐々に奪いつつあるのだ。私は最近、料理のレシピ本を見なくなった。ブログの更新も滞っている。映画も観に行かなくなった。それらすべての原因は、見る力の低下である。見えにくいということが、これだけ生活の意欲を低下させるとは考えたこともなかった。
しかし何も私は悲観しているばかりではない。今までそうだったように、目に対しても画期的な新薬が生み出され、私の視界を一気に晴らしてくれることだろう。
できないことが増えていく辛さ…私は今、それを24時間感じ続けている。それはいつ終わるとも知れないなかなかに大変な事態ではあるが、それでもきっといつか夜は明けるだろう。その日を楽しみに、日々暮らしていくつもりだ。