〔疲労からの解放が筋肉を育てる〕
少し日が開いてしまいましたが,以前の記事の続きを。
乳酸菌が蓄積される疲労とは
見落としがちなことの1つ目は,エネルギーの元となる乳酸菌生成と疲労の蓄積についてです。
筋肉は基本的に有酸素運動をしています。これは酸素の燃焼エネルギーを使ってパワーを生み出すという方法です。
酸素を使い切ってしまい,それに続く燃焼物が手元に無い時,筋肉は乳酸菌を使ってエネルギーに変えることができます。詳しくは省きますが,乳酸菌の形を変えてエネルギーとして活用するのです。
しかしこの“形を変えて”というところがクセモノです。乳酸菌が有用な形に変換されるよりも新しく生み出し続けられる量が多くなると,うまく活用ができず,エネルギー変換が滞ってしまうのです。
これがいわゆる“乳酸菌が蓄積され”た状態で,時間をかけて乳酸菌がなくなるのを待つという事態になります。これが疲労になるのですね。
前回は輪ゴムを例え話に使いましたが,筋肉にはこういう側面もあるので,ただ休ませれば回復するという単純なものではないということを理解しておいた方が良いでしょう。
超回復という考え方
見落としがちなことの2つ目は,超回復です。
筋肉は酷使が続くと痛んだり断裂したりするのですが,適度な休息を与えると,以前のような力を取り戻そうとしているかのように猛烈な修復活動が始まります。
そして結局,以前よりもたくましい筋肉が形作られるということになります。
これは“超回復”と呼ばれる概念です。これは輪ゴムには絶対に見られない現象です。ですから筋トレを行う場合には,ある程度疲労を感じるまで取り組む方が成果が上がるのです。それを
「輪ゴムみたいに切れたら困るから,疲れない程度に運動しよう」
となると,筋肉の生成速度が遅くなるということになってしまいがちです。
骨折して回復すると骨はより強くなる
ちなみに,骨折を経験すると,その箇所はより太くより強くなるという話もあります。これも超回復の概念と同じですね。
前回は《何事も中庸〜ほどほど〜が大事》というようにまとめましたが,それに加えて《疲れるまで取り組み,適度に休息を与えることで筋肉を育てる》という概念も重要だということも考えに入れておきましょう。
私は日々,中庸とやり過ぎの間を行ったり来たりしながら,最適解を探しているところです。
中庸と、やり過ぎ、難しいですね。
全てに当てはまる概念だと思います。
そうですね。重要なのは,自分の行動の意味や意義をきちんと自覚しているかということだと思います。