シュガーポット

【足の感覚が蘇った】

〔退院後2年が経過して起こった大きな変化〕

昨日,とても嬉しいことがありました。まるで空を飛んでいるような高揚感。ああ,私は生きているんだという実感。

それは,昼食準備作業の合間に起こりました。

いつもは苛立ちの元だが

昨日の昼食は素麺。自作している麺つゆの賞味期限が気になるし,先日購入した三輪素麺の味を楽しみたいし,しかもけっこう暑いしということで,素麺を茹でることにしたのです。

薬味にするためにネギを包丁で切っている時に,それは起こりました。うまく包丁が扱えなくて,ネギの一部を床に落としてしまったのです。
私はいつものように,癇癪を起こしそうになりました。

でも,私はいつもと違う感覚をおぼえました。ネギが落ちたであろう辺りを目で追ってみると,ネギは床には落ちず,私の左足の甲に付いていたのです。
その瞬間,私はなぜ違う感覚が生まれたのかを理解しました。足の甲は,ネギが落ちてきたことを感知したのです。これ,すごいことなんです!

食材を切りそろえる際に床に落としてしまう,いつもなら苛立ちの元にしかならないはずの出来事が,こんなに私を有頂天にするとは!

そういえば骨折の際にも

ご存知のように,私の末梢神経は障害されています。手足の指先の感覚が殆どないのです。
それでも最近は紐を結ぶことができたり,スリッパが脱げないように歩けたりと,それなりの“進歩”は見せてくれていました。でも,こんなに微妙なことが分かるようになるとは思ってもいませんでした。

でも,そういえば…と心当たりがあることに,私は気づきました。先日誤って足指を骨折した際にも,少しだけれども痛さを感じていた,と。
あの時には見た目が強烈だったので,視覚から脳が痛さを感じて私の神経に伝えていたのだと(いわゆる,気のせいですね)思い込んでいましたが,どうやらあの時も足の感覚は正確だったのですね。

おおらかな心には変化が見える

もう一つ,気づいたことがあります。それは,自分の失敗を責めずに良い点にフォーカスするという挑戦が実を結び始め,心がおおらかになってきたことと無関係ではなさそうだということです。

昨日は調理を終えるまでに時間的余裕がありました。食材を落としても,ゆっくり拾い,調理に戻ることができる状況にあったのです。
もしこれが,時間に追われ焦りながら調理していたと仮定すると,失敗に苛立った私は急いで調理に戻り,僅かな変化を見過ごしていただろうと思うのです。

これはまたどこかで記録しておきたい内容ですが,私は今まで非常に短気で,自分の失敗が許せないというタイプの人間でした。そんな私に対して,
「もっと気楽に生きよう」
「出来なくて当たり前でしょ。私なんて出来ないことだらけ」
などと私を励まし導いてくれたのは家族たちでした。
人間的に大きな欠陥を抱えている私を見捨てず,いつも穏やかに接してくれている家族が,私の足の感覚を呼び戻してくれた,私はそう感じています。

上機嫌で作った創作カレー

それ以降,私は上機嫌でした。昨夜作ったカレーをアレンジして創作料理に挑戦できたのも,心に余裕があったからでしょう。

ナス素揚げと鶏唐揚がトッピングされた創作カレー
昨日デヴューの創作カレー

大きなトマトを二分割してしっかり火を入れ,その上から和風にアレンジしたカレールーをかけます。ルーの中には

  • 和牛すじ肉
  • シメジ
  • ニンジン
  • タマネギ
  • ズッキーニ

が入っています。それにチューリップ(鶏肉)の唐揚を加えました。

鶏肉の下味は塩胡椒です
ジューシーに揚がったチューリップ

これはなかなかの傑作でしたよ。とても美味しかったので,もう一度作ってみようと思っています。

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