〔待ち望んでいた夢が実現〕
気がつけば,もう11月になろうとしています。晩秋が深まる毎日,みなさんはどのようにお過ごしでしょうか。
例年になく災害に見舞われることの多い年,皆さまが安寧に過ごされていることを願い,被災された方に対しましては心よりのお見舞と早い復旧をお祈り申し上げます。
この身体には一定の休養が必要ということで約1ヶ月間は講演活動を見合わせていましたが,11月は思い切って外に向かって発信していく月にしようと決めています。
複数の講演会が予定されているのですが,その中でも特に気合が入っているのは,大阪で行う講演会です。
特別な場所で
聴いてくださる人数で言えば,11月1日に柳川市の高校で行われる講演会が最大です。何せ、800人の前で話すのですから。それに比べると大阪会場はキャパが20名ほど。
じゃあなんで大阪が?
それは私が大阪出身だからなのです。
強い思い
私は大阪で生まれ,18歳まで過ごしました。北海道暮らしが長かった私ですが,今でも身体の中には“大阪の血”が流れているなと感じることがあります。
でも今回は,そんなノスタルジックな気持で臨むつもりはありません。昔からの友人に連絡することもなく,集客は開催場所(イタリアンレストランです)の方にお任せしているので,一体何人来てくださるのかも分かりません。
私が大阪で講演することには,特別の意義を感じているのです。
切望の理由
私が大阪で講演を行うことを切望したのには,いくつかの理由があります。
開催の約束
その1つ目は,会場を提供してくださるイタリアンレストラン〈オステリア・ルチアーノ〉のオーナーさんとの約束だったからです。
私は昨年の3月末に北海道を離れ,福岡県に移住しました。北海道から福岡までは車を運転して(途中カーフェリーを活用しながら)移動したのですが,その道すがら,大阪のイタリアンレストランに立ち寄らせていただいたのです。
その際に私の闘病話を聴いたオーナー夫妻が,
「この話は広めてください。そして,大阪で講演してください。お店を使ってもらってもいいです」
と申し出てくださったのです。
私はお二人と講演会開催の約束をしてお別れしたのです。
母と妹への供養
理由の2つ目は,母と妹への供養だと思っているからです。
私の母と妹は,私と同じ病に罹り,命を奪われました。だから私は発症した時以来,自分が生き残るのは自分のためだけではなくて,母と妹の“弔い合戦”になるという意識を保ち続けてきました。
私が大阪で講演会を開催することが,難病アミロイドーシスに負けなかったことを宣言することになると思っているのです。
残された父へのメッセージ
理由の3つ目は,父に対してのメッセージです。
父は,私が発症して手術するということを電話で告げた時,
「お前まで取られるんか」
と呻きました。
妻と娘を奪われた父,このうえ私までいなくなったら,彼は生きていけるのだろうかと思いました。
そんな父に対して,私は元気で過ごしている,病気に負けなかったということを伝えたいのです。
私にとって大阪講演は,そのような深く大きい意味を持つものなのです。
病に負けない私を育てたのは
私は難病アミロイドーシスに命を奪われませんでした。それは,心を強く保つことができたからです。
各地の講演で私が話していることのひとつに,
「病院で死ぬ何割かは病気で死なない。生きる意欲を奪われ生への執着がなくなるのだ」
というものがあります。それほど闘病生活はつらいのです。私の場合は,いつになったら改善するのかが全く分からなかった。
例えば
「手術後はつらいです。でも3ヶ月頑張れば良くなります」
と言われたら,頑張ることができると思いませんか?でも私の場合は“無期限の闘病”だったのです。いったいいつになったらベッドから起き上がることができるのか,暗闇の中で進む方向も距離もわからない日々が延々と続くうちに,生への意欲は削がれていくのです。
そんな私を救ってくれたのは,家族の愛であり,教え子達の応援でした。でも根本に有るのは,大阪という土地で生まれた者のもつしたたかさ,しぶとさだったのではないかと思っているのです。
病に心で負けない私を育ててくれた大阪に感謝を込めて,講演したいと思っています。
思いよ届け
私の思いは,
- 諦めたら終わり
- 夢は叶えるもの
- 感謝は尊いもの
- だれかがあなたを応援してくれる
などなど,多岐にわたります。これらの思いが聴いてくださる方に届くよう,大阪でも心を込めてお話しさせていただきます。
みなさんの住む地域にも伺いたいので,ぜひ連絡してくださいね。
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