〔地域に貢献できる嬉しさ〕
まずは吹奏楽
私は退職し,福岡県八女市に移住します。リハビリに取り組み,私はゆっくり時間をかけて回復していきました。
次第に地域にもなじんできたある日,私は授業を参観しに地元の中学校を訪れます。学校が地域への開放事業として取り組んでいる行事に参加してみたのです。
その日授業参観に中学校を訪れたのは私たち夫婦だけでしたので,大いに歓迎してもらいました。控室で校長先生と歓談していると,私たち夫婦が参観しようと思っていた音楽授業の担当教員が立ち寄ってくれました。
私はその教師に,自身が小学校で吹奏楽部を指導していた話をしました。するとその教師は目を輝かせ,
「吹奏楽部の指導を手伝ってもらえませんか?」
と言ったのです。
こうして私は,地元中学校に通うことになります。週に三度ほどは通ったでしょうか。私は生活の充実度が高まるのを感じました。中学校にも歓迎していただいていると感じることもできました。
広がるつながり
私が指導していることは,他校の音楽教員にも伝わりました。その結果,私に
「うちの学校にも指導に来てほしい」
という要望が届くようになりました。
私は地元にあるもう一つの中学校にも出向くようになりました。私は幸せをかみしめながら指導にあたりました。
小学校の先生と
私は近隣の町で,小学校の現職教員と交流する機会を得ました。現在の学校教育は問題が顕在化し,大変な状況に陥っています。子どもたちも教師たちもあえいでいるような学校生活。若手の教員は,私たちに悩みをぶつけてくれました。
私たち夫婦は元教員として交流する中で,様々なアドヴァイスもさせていただきました。弾む会話の中で,私の音楽指導の話にもなり,その教師は思いがけないことを話し始めました。
その学校は学校独自の取組として,マーチングバンド活動を行っているというのです。4年生以上の小学生は全員参加。町で行われるパレードに毎年参加することが活動のメインだということでした。
マーチングバンド活動には,“その道”に詳しい指導者が欠かせません。その学校では高学年の担任がその業務を行っているということで,必ずしも詳しい教師が担当するわけではない事から,日々の活動は悩みでいっぱいという感じでした。
私は協力できることがあるかもしれないから,今後も連絡を取りあいましょうと約束をしました。
講演会と合唱指導
それから以後,私の活動は講演が主となり,中学校とも小学校とも深く関わることができませんでした。中学校の吹奏楽部が『教師の働き方改革』の影響で活動の縮小を余儀なくされたことも影響しました。
私の講演活動に対しては,中学校の先生も小学校の先生も賛同してくださり協力もしてくださいました。私は講演活動でも現職教員とのつながりを強くすることができたのです。
そんなある日,小学校の先生から依頼が届きました。学校の活動で合唱を披露するから,その指導に来てくれないかということでした。私は喜んで協力する旨を伝え,いそいそと出かけていきました。
体育館に集められた6年生児童はとても意欲的で素直でした。わずか1時間弱の指導でしたが,子どもたちの歌は上達しました。
指導が終わり校長室に通された私は,担当教員と校長先生と歓談しました。その中で,卒業式の合唱練習にも関わることができるような話が出てきたのです。
やはり音楽が残った
私にはやはり,音楽が残りました。若い先生方に私の指導方法を伝えたい〜どこまで関わることができるかはまだ分かりませんが,今後の展開が楽しみです。
全く新しい土地で、しっかりと自分の得意としてきたことを、実施できることは、本当に素晴らしいことです。
自分では何が出来るか、考えると、仕事で得た知識の内、子供達が興味をもつ内容を話すくらいかと思います。
学校の先生が少しでも休めるなら、退職者の中で、話せるような人をプールして、年に何回か、それらの人に話す機会が出来れば、良いですね。
いつもありがとうございます。
自分のしたいことで地域に貢献できれば,こんなに嬉しいことはないですね。その喜びを私は現在味わっております。