〔早期退職の決意が遅れた主因〕
せざるを得なかった早期退職
私は難病〈家族性アミロイドポリニューロパチー〉に罹り,小学校教諭を退職せざるを得なくなりました。病の持つ症状には,小学校教員としての働きを阻害するものが多数あったからです。
その代表は例えば
- 筋力低下
- 起立性低血圧
- 不規則な排泄活動
- 一時的な記憶喪失
- 時間のかかる摂食
- 乾燥する口腔内
- 外部からの刺激を適正に受け取りづらい感覚麻痺
などです。それぞれがどのように本務に悪影響を及ぼしたかは想像してみてください。
悩み続けた音楽指導
私は小学校教員になった当時,音楽指導に悩みを抱えていました。新卒ですから指導方法は確立できていないのに,金管バンドの指導者であったがために,“校内で最も音楽指導に詳しい先生”とされてしまったことが,悩みの核心でした。
金管バンドの練習日は週に3回ありました。赴任したばかりの私は,金管バンドの練習日を迎える度に腹痛になりました。
「登校拒否の子の気持が分かるわ」
と当時の私は,冗談ではなく感じていました。金管バンドの練習時間が過ぎれば腹痛は治まったからです。
しかし子どもたちは私を待っています。逃げるわけにはいきません。追いつめられた私は,外部に助けを求めました。『指導者講習会』という名前の学習会に参加することが私の習慣になりました。
私は徐々に音楽指導の形を理解し始めました。なるほど,そういう風に言えば子どもは楽しく歌えるのか,小太鼓の指導法の中心はそこか,移調楽器の指導が初めて分かった,…などなど,講習会は驚きと喜びの連続でした。
その後私は音楽指導の力をつけ,名実ともに“校内で最も音楽指導に詳しい先生”に成長していったのです。そしてその後も長らく続いたバンド指導のおかげで指導者仲間とのつながりが深まり,音楽指導の楽しさを日々感じるようになったのです。
早期退職で残った後悔
その現在地から新卒当時の私を見つめてみると,なんと弱々しく自信もなく,よく途中で投げ出さなかったものだと褒めてあげたくなりました。と同時に,若手の先生方は,私と同じような悩みと日々格闘しているのではないか,そう思ったのです。
私は若手の先生方に
「器楽の指導法,分かる?」
「打楽器の演奏法,放課後に教えようか?」
と声をかけるようになりました。指導者講習会を校内で行おうとしたのです。
放課後講習会は好評でした。それ以来全校の音楽レヴェルは上がり,学芸会の器楽・合唱発表は保護者から絶賛されるようになっていきました。
私には早期退職を決意するに当たって,大きな心残りがありました。それは,
「もう若い先生方に指導法を伝えることができない」
という焦りでした。
私はスマートフォンを使って動画コンテンツを作り,1枚のDVDに焼いて希望する先生方に渡しました。しかし動画ではやはり伝わらない部分があるのです。それをもう伝えられないのかと思うと,本当に残念でした。
(後編に続く)
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