〔仲間がいるという安心感に包まれ〕
FAPには集積発現地がある
少し前のことになりますが,2019年の11月30日に『道しるべの会 30周年記念交流会』に参加してきました。当日私は,大きな感動に包まれることになりました。
〈道しるべの会〉というのは,家族性アミロイドポリニューロパチー(以下FAP)の患者やその家族などで運営されている患者会です。私自身もFAP患者なので,一度その集いに参加させていただきたいと常々思っていましたが,今回はその代表からご案内を受け,参加することができました。
FAPには発症件数の多い地域というものがあります。遺伝に関わる病気なので必然的にそうなるのですが,その一つが熊本県荒尾市にあります。熊本大学病院でFAP研究が進んだのも同一県下に集積地を有していたからということが大きな要因になったのです。
私の遺伝子のタイプは異なっている
しかし私の遺伝子のタイプは荒尾市のそれとは異なっているそうです。FAPを発症し亡くなった私の母は長崎県の出身ですから,荒尾市のタイプと異なるのは当然なのかもしれませんが,私にはその点で少々疎外感がありました。
今まで自分から〈道しるべの会〉にアプローチしてこなかったのも,この疎外感が関係しています。同じ病気だとはいえ,仲間として認知していただけるかどうか不安が大きかったのです。
遺伝子のタイプが違うからといって発症の内容が大きく違うということは無いようですが,荒尾市ゆかりの患者さんたちに与えられた大きな試練を思う時,私なんぞが仲間のような顔をして良いのかという逡巡があったのです。
荒尾市で刻まれた記録と記憶
私は主治医から紹介されて,『献身』というノンフィクションを読みました。これは荒尾市で患者さんたちに対して自身の半生を捧げた志多田正子さんという一人の女性と患者、家族の物語です。ここに描き出された症状の悲惨さに,私は凍りつきました。
FAP治療は対症療法ですらなかったので,患者は死を待つのみでした。志多田さんも患者の家族だったのでFAP発症の可能性を有していましたが,彼女は発症しませんでした。志多田さんはFAP患者と向き合うことを自身に課された使命と感じ,FAPとの闘いに半生を捧げられました。
『献身』には闘病の様子が詳しく描き出されているのですが,それが私にとってはリアル過ぎました。そこにある症状は,程度の差こそあれ,私にも身に覚えがあるのです。私は本の描写を読む度に自分の体調も落ち込むのを感じました。
FAPは遺伝にかかわる病気です。症状そのものだけでも辛いのに,患者に対する偏見の眼の鋭さ深さには恐ろしいものがありました。私自身は感じたことがありませんが,遺伝にかかわる難病ですから,結婚相手としてどうなのかという見方が大きかったのです。
- 生まれてくる子は病気持ちになる
- 結婚しても長くは生きられない
- 動けなくなるから,嫁として働いてもらえない
- 自分の家系に病気は入れたくない
などをはじめとして,その他触れるのをはばかられるようなひどい偏見までがそこにはありました。
荒尾市の患者さんたちは,それらと闘いながら前進してきたのです。私が本当に患者会に関わらせていただいて良いのだろうかという思いは,日増しに大きくなっていったのです。
ご案内をいただいて
そんな私でしたが,〈道しるべの会〉代表からご案内をいただいたのだから,きちんと参加しようと心を奮い立たせました。私が皆さんに受け容れてもらえるかどうかは分からないけれど,私はこれから講演で全国を回る決意なので,同じ悩みを持つ方々とはぜひとも手を取りあっていきたいと思ったからです。
当日はホテルで会合を行うということでしたので,私は身なりを整えて出かけました。
ホテルに到着した時,私は不思議な感覚に襲われました。なんと表現したら良いのか分かりませんが,なにか温かい,柔らかい気持になったのです。
その気持は,会合の受付をしている時にさらに強まりました。日頃からお世話になっている熊本大学病院に関わる方々のお顔を見て言葉を交わしていると,自分がそこにいるのがとても自然なことのように思われました。
衝撃の報告
会合はまず第一部として,FAP治療の現況を共有する場となりました。私の目の前にいるのは,自分と同じ病に苦しむ人と家族です。今まではほぼ独りという感覚で生活してきましたので,その光景には気圧されました。また同時に頼もしく感じました。
会合では治療法の進歩についても報告されました。私はそこで衝撃を受けました。
報告の数々に,肝臓移植に頼らなくとも良い時代が目の前まで来ている,そういう思いを強くしました。と同時に,ひょっとしたら,という光明まで見出すことが出来たのです。
それは私たち患者の体にへばりついているアミロイドを無くする研究の報告でした。私は治療法の進歩が今後の世代の将来を明るくしてくれることに期待するのみでしたが,この報告は,ひょっとしたら自身の症状も軽減される日が来るかもしれないという希望を抱かせてくれたのです。
まだまだ課題は多いということで,報告してくださった病院の先生は慎重に言葉を選びながら話されましたが,先生方が研究を進めてくださっているのは事実です。そのこと自体がありがたいし,私自身も気持を強く持って生きていかねばならない,自分が死ぬ前にアミロイドとサヨナラできるように,と思いました。
一転して温かな食事会に
第二部は食事会でした。先ほどまで一同が同じ方向に座り,講演者を真剣な面持で見つめていた会場が,一転して華やかなものになりました。大きな円卓が6つほど用意され,くじ引きで決められた席に着きます。私の隣は製薬会社の方でした。
食事会では様々な催物があり,終始にこやかな雰囲気で進行していきました。私も向けられたマイクに対して自己紹介のようなことをしました。皆さんが私を見る目が温かいのに気づき,私は泣きそうになりました。しかし本当に涙したのは,会が終わる直前の出来事に対してでした。
会の最後に,今までの患者会を振り返るという思いを込めたトリビュート映像が流されました。私にとっては初めて観る映像でしたが,荒尾の方々にとってはまさに“闘いの歴史”だったのでしょう。映像で流される顔,顔,顔…。会場は静まり返りました。
その後,最後に挨拶をした安東由喜雄先生(FAP研究の第一人者,私もお世話になりました)が絞り出すように放った一言が,私の心に突き刺さりました。
「さっきの映像ね,あそこに出てきた人たち,僕は全員知ってるんですよ。助けたかったけど助けられなかった。FAPで亡くなった人やご家族のことを考えたら胸が締めつけられる,でも亡くなった方のところに行って,研究のために献体をお願いしなきゃいかん。どんなにつらかったかを思った」
私は泣きました。発症以来,水分を失ったために涙を流せなくなった目ですが,ほんの一筋ですが涙が出たんです。ああ,先生たちはこんな思いで私たちに接してくれているんだと思うと,自然に手を合わせていました。
温かい言葉の数々
食事会の後半,参加者の構成を尋ねる場面がありました。つまり
「荒尾市から参加した方,手を挙げてください」
「九州以外の方はどれくらいいますか?」
などのよびかけがあったのです。
てっきり“よそ者”は私くらいだろうと思っていたのですが,実際は違いました。多くの方が荒尾市以外から参加されていたのです。もう荒尾市だけで抱えない,同じ病に苦しむもの同士,手を取りあおう,そう言ってもらっている気がして,私はとてもありがたかったです。
会の代表からも声をかけていただきましたし,病院の先生方もたくさん話しかけてくださいました。製薬会社の方とは私が受けたインタビューの話などもできました。人のつながり,温かいつながりを感じて,この日の会合は終わりました。
※会合自体はこの後,ホテル宿泊者の交流が続いたのですが,私は所要のためここまでの参加となりました
仲間がいる!
同じ病を抱え苦しみながらも生き続ける仲間がいる,こんな晴れやかな気持になったことは,闘病開始以来ありませんでした。私はこれからも患者会の皆さんと連携をとりながら,全国の講演会を成功させ続けようという思いを強くしました。
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