〔集大成と始まりと〕
2020年1月26日,東京都中央区にある『日本橋公会堂』で講演会を開催してきました。今までにも増してたくさんの感動と気づきを得た講演会でした。
その内容をお伝えします。
満を持して臨んだ講演会
始まりは,昨年来続けてきた講演会に参加してくださった方々からのアンコールでした。特に昨年東京で行った講演会に参加してくださった方からのラブコールはすごくて,とても嬉しかったです。ああ,近いうちに関東でもういちど講演会をする必要があるなと感じていました。
しかし日々の生活を送るうちに,遠く離れた地での講演会は計画しづらくなっていきます。特に昨年11月度には3回も講演活動を行い体力的にも負担が大きかったものですから,私の中で意欲付けが難しくなっていました。
そんな私を奮い立たせてくれたのは,同じ病に苦しむ方から届いたSOSでした。
彼は体調が優れなくて病院にかかったところ,突然アミロイドーシスであることを告げられたとのことでした。突然告げられた病名に戸惑い,これからどのように生きていけば良いかが分からなくなったという訴えをパソコン画面で見た時,私は反射的に返信をしていました。
「私にできることは実際にお会いして励ますことだけです。近いうちに関東で講演会を行いますので,その際にお会いしましょう!」
という私の返信に,彼は喜んでくれたようでした。
このような経過で,講演会開催が決定しました。私は彼の入院先の場所も考え,東京都23区内で講演会を行うことにしました。
その旨を東京近郊の皆さん(以降,“東京スタッフ”と記述)にお伝えしたところ,講演会の実施について具体的に準備してくださるということになりました。講演会実施に必要になる事務的な手続きや準備などを東京スタッフに任せることができた私は,講演内容の準備に集中することができました。
私は,今回の講演会を今までと違う内容のものにしたいと思いました。それは,今まで各地で行った内容はどこか《応援してくださった皆さまへのお礼と報告》的な内容が多くて,未来に向かい前を向いた内容に乏しいと感じていたからです。新たな講演の方向性は,高校生に向けての講演内容が示唆していました。
それは2019年11月1日に福岡県柳川市の伝習館高等学校で講演した内容です。対象が高校生ということもあって前向きな話を多く含みました。それが高校生に好評だったので,それを参考にしつつ,さらに前向きな話を織り交ぜていきたいと思ったのです。
準備するプレゼンテーション資料は一から構成し直しました。そして内容も練り直したのです。
新しい内容
今までの講演会で触れていた,
- 私の発症についての経緯
- 症状の実際について
- なぜ諦めず闘病を続けられたのか
などについては詳述せず,私が実際に得た気づきとの関連で触れる程度にしました。私が今回力を入れたのは,
- 病が与えてくれた気づき
- これからの人生に必要なポジティブシンキング
- 人生を楽しくする豆知識
などでした。
講演内容については,今まで私の講演を複数回聴いてくださっていた方から
「初めて聴く話が多くて良かった」
と肯定的な感想をいただきましたし,常に私の講演を聴いてくれている妻からも
「私も初めて聴く話ばかりだった」
と驚きとともに歓迎の意を表してもらうことができました。
25年ぶりの再会
今回は参加してくださった方々の属性は多岐に亙っていました。具体的には
- 東京スタッフ
- 昔からの友人
- 親族
- 教え子
- 病気に苦しむ人
- 新たなご縁で参加した人
などでした。中でも私を緊張させたのは,教え子たちでした。
講演会準備を会場で行っている時に,教え子の一人が登場しました。彼女とは北海道に戻った際に一度会っていたので,再会は4年ぶりくらいでしょうか。私は懐かしさに喜びが込み上げてくるのを感じながら彼女を迎えました。
彼女は友人を連れてきていました。その友人を見た途端,私の時間は猛烈な速度で逆回転を始めました。彼女とは20年ぶりの再会です。しかも彼女は小学生当時,私が指導していた吹奏楽部のトッププレイヤー(全道大会で審査員全員から満点をもらったスーパープレイヤー),私と彼女の共有した時間は長く,内容は濃いものでした。そんな彼女が大人になって目の前に佇んでいる。私は感動で身体が大きく震えるのを感じました。
あまりの感動に,私は彼女たちにかける言葉を失ってしまいました。心の中では,何度もお礼を言っていたのですが。
そして講演が終わり,茶話会が始まります。そこで登場してくれたのが,3人目の教え子。彼女とは25年ぶりの再会です。私はまたまた,声を失ってしまいました。
彼女は私が始めて担任した子であり,始めて金管バンドで指導した子でした。彼女もまた素敵な大人に成長していましたが,私は小学校三年生の当時の面影をみていました。
時代は違えど,教え子3人に見つめられて話すのは緊張しました。教師になって良かったという思いを噛みしめながら,私は話し続けました。
起こった奇蹟〜歩くこと,歌うこと
講演会の冒頭で,私はこんなことをお願いしました。
「症状の関係で口の中が渇き,話ができなくなります。ですから水を飲みながらの講演になることをお許しください」
「起立性低血圧の症状のため,時折座って話すこともありますが,ご了承下さい」
しかし実際のところ,私は座りませんでした。話にどんどん熱を帯びていったので,座るどころか,会場を行ったり来たり歩き回ったのです。まるで現役の教師に戻ったようでした。
茶話会では,一つの企画をしていました。それは,私が歌うというサプライズです。
私は生体肝移植術を受けたあと1週間あまりで話ができるようになりました。その時,大事な肝臓を私に与えてくれた妻への感謝を歌いたいという想いが私に浮かびました。私はスマートフォンを使ったカラオケアプリに乗せて,中島みゆきさんの『糸』を歌いました。
歌った当時は考えていなかったのですが,その動画がアプリ内に残っていたので,私はそれを取り出し,動画として講演会の冒頭に聴いていただいていました。それを聴いてくださった東京スタッフのみなさんから,
「またあの歌を聴かせてほしい」
というリクエストを受けていたのです。
私は今回,教え子の一人にギター伴奏を依頼しました。彼女はギターの演奏を職業の一つにしているのです。
茶話会の席上でまず,動画を再度流しました。そのうえで,
「ここで実際に歌わせていただきたいと思うのですが,よろしいでしょうか」
と告げ,生歌の披露が始まりました。
私は必死で歌いました。こんなに回復したんですよということが良く伝わるように。みなさんのおかげで今の私があるんですよという感謝の気持が伝わるように。
歌い終わり,ほっとして伴奏をしてくれた彼女をみると,なんと泣いていました。私はその瞬間,大きな感情のうねりを自身に感じて,対処できなくなりました。伴奏を頼んで良かったと心から思いながら,湧き上がってくる感情に心を委ねました。
教え子の伴奏で歌う 中島みゆきの『糸』を歌う
私は講演会で立ち続け歩き続けました。茶話会では1曲丸ごと歌うことができました。そのどちらも,今までの私からは考えられないような成果です。起立性低血圧に負けず立ち続けたこと,口の中の渇きに負けず歌い続けたことは,私の嬉しい記憶になり,“できることリスト”に加わったのです。
この感動を共有するために
この感動を共有することは,私の自信になるだけでなく,同じ病に苦しんでいる人たちへの励ましになると感じています。教え子をはじめとして旧知の皆様方には
「森内はまだ元気で前向きだ」
と思ってもらえたでしょうし,新たなご縁でお会いできた方々には
「良い気づきを与えてくれた」
と思っていただけたと思っています。
この感動は,もっともっと多くの方々にも届けたいと強く思いました。そのために,
- 動画の配信
- 講演活動の活発化
- 出版の成功
などに意欲的に取り組んでいきます。みなさんにも,これまで以上のご理解・ご協力をお願いしたいと思います。ぜひ私のことを周囲に伝え広げてください!
最後になりましたが,今回の東京講演会の成功を支えてくださった東京スタッフの皆さま,講演会に参加してくださった皆さま,本の予約購入をしてくださった皆さま,いつも私を支えてくれている妻に心よりお礼を申し上げます。ありがとうございました!
東京スタッフによる受付業務 ゲストスピーカー 東京スタッフとともに
本当に素晴らしい講演でした。
そして茶話会でのサプライズの”糸”、本当に最高でした。
年に1度は、都内でお話ししていって欲しいです。
ありがとうございました。
東京講演の後,すでに新しい気づきをたくさん得ていますので,またお伺いしたいです。
次回は埼玉や千葉などで行うのもいいかなと思っています。